歌劇『後宮からの逃走』(全3幕)は、1782年の初演以来、モーツァルトの存命中に上演された回数が最も多い大ヒット作である。
1781年にモーツァルトはパトロンであったコロレード大司教と決裂し、ザルツブルクからウィーンに住むようになった。この地で最初に書いたのが、本オペラである。つまり、この成功により、移住したばかりのモーツァルトは見事ウィーンでの評判を得たのだった。
ヒットの要因は二つある。一つはドイツ語オペラであることだ。それまでオペラはイタリア語で書かれることが通例であったが、1778年から82年にかけてヨーゼフ2世が推進した『ドイツ国民劇場』構想により、ドイツ語の作品が積極的に取り上げられやすくなっていた。モーツァルトの後期の代表作、『魔笛』もまたドイツ語オペラであるが、この「後宮からの逃走」はそれに先駆けた作品といえる。
そして、もう一つヒット作を後押ししたのが「トルコ・ブーム」である。その頃のウィーンは、100年ほど前までオスマントルコに包囲されていたこともあり、トルコとは少なからず縁があったのに加え、トルコの軍楽隊が軍のヨーロッパ遠征に随行し、活気あふれる独特な響きや調性を伝えた。人々はエキゾチックで魅惑的な異国の音楽に直接触れて大いに刺激され、トルコ音楽の広がりに繋がったとともに、トルコを舞台にした物語や、器楽曲、歌も数多く書かれた。このオペラもその一つであり、後宮(ハレム)に捕らわれたヨーロッパの女性を救い出すという定番のシナリオとなっている。モーツァルトはこれ以外にも、『トルコ行進曲』(18世紀後半)、ヴァイオリン協奏曲第5番トルコ風(1775年)など、トルコの影響を受けた作品をいくつか残している。
本作の序曲は、3部で構成されている。冒頭は、アクセントや強弱を巧みに使い分けた軽快な2拍子のメロディで始まる。中間部では、ヴァイオリンやオーボエが、ゆったりとした短調のメロディで聴衆に一息つかせた後、再び軽快なテーマに戻りフィナーレへ向かう。メロディのニュアンスや管打楽器の音色など随所に「トルコ風」が感じられ、さらにモーツァルトらしい陽気さも加わって、これから始まるオペラ本編を期待させる一曲となっている。
<オペラのあらすじ>
スペインの貴族ベルモンテの恋人コンスタンツェは、侍女のブロンテと召使いのペドリロとともに海賊に捉えられてトルコに売られ、太守セリムの後宮にいる。ベルモンテは三人を後宮から脱出させようと、イタリア人の建築家という触れ込みで雇われる。彼は上手く三人と出会い、番人のオスミンに酒を飲ませて眠らせ、そのすきに脱出を企てる。しかし、オスミンに見つかって全員が逮捕されてしまう。取り調べの結果、ベルモンテが太守の仇敵の息子であることがわかっているのだが、太守は寛大な慈悲の心で全員を許し、帰国させる。
参考文献『モーツァルトのいる部屋』井上太郎 河出書房新社 2014
フルート M.E