ヴァシリー・カリンニコフ(1866年〜1901年)は、34歳という若さで結核により早世したロシアの天才作曲家です。残した作品もわずか2つの交響曲といくつかの歌曲、器楽曲だけの為あまり知名度はありませんが、もし長生きしていればチャイコフスキーやラフマニノフのようにロシアを代表する作曲家になっていたと言われています。その才能は彼の代表作である「交響曲第1番」に色濃く現れており、チャイコフスキーの洗練された技法を取り入れながらもロシア民謡に根ざす土臭さを残した旋律美は一度聴いたら忘れられません。
カリンニコフはロシアの貧しい家庭に生まれました。少年時代から音楽の才能を発揮し、14歳で地元の聖歌隊の指揮者を務め、18歳の時に名門モスクワ音楽院に入学します。しかし経済的な困窮から数か月で退学を余儀なくされ、その後は別の音楽学校に移り何とか修了しました。卒業した年にチャイコフスキーに才能を認められてモスクワ・マールイ劇場の指揮者に推薦され、ようやく独立した音楽家としての活動を開始するのですが、その矢先に肺結核によって活動中断を余儀なくされてしまいます。その後は教師や友人たちの援助を受けて保養地を転々としながら、闘病の合間に作曲を続けます。「交響曲第1番」もその頃に書かれた作品で、初演では大成功を収めカリンニコフに初めて名声と収入をもたらしましたが、結局病の為演奏に立ち会う事は出来ず、その3年後に34歳で早すぎる生涯を終えることになります。
第1楽章 ト短調・ソナタ形式
Allegro moderato
ロシア的な性格を持つ2つの美しい主題を基にする、ソナタ形式です。ロシア民謡風の第一主題が弦楽器のユニゾンによって提示されますが、この主題は楽器や音型を変えながら繰り返し提示され美しくも憂いのある曲想を印象付けます。
その後チェロによって第二主題が奏でられ、旋律がヴァイオリンに推移していきます。これらの主題が組み合わされダイナミックに盛り上がっていった後に、最後は悲劇的なムードを漂わせて終わります。
第2楽章 変ホ長調・ 3 部形式
Andante commodamente
木管楽器と弦楽器による美しくも穏やかで、抒情的な雰囲気を持つ緩楽章です。曲はハープとミュート(弱音器)を付けた第一ヴァイオリンが同じ和音を繰り返す幻想的な序奏で始まり、その後コールアングレとヴィオラにより第一主題が奏でられます。
中間部では美しくも物憂げな第二主題がオーボエに現れ、やがて目が覚めていくようにオーケストラ全体に広がっていきます。
第3楽章 ハ長調・複合 3 部形式
Allegro non troppo
第2楽章から一転。明るく躍動的なテーマが何度も繰り返される舞踏曲のようなスケルツォです。「スケルツォ」とはイタリア語で「冗談、気まぐれ」という意味で、テンポが速く舞踏的な性格をもつ、同一音型を繰り返すという特徴があります。この楽章でもロシアの民族舞曲のような旋律で始まり、変奏曲のようにめまぐるしくフレーズが移り変わっていきます。
トリオと呼ばれる中間部でオーボエがエキゾチックで美しい旋律を奏で曲調を一変させますが、やがてスケルツォに回帰し、賑やかに曲を締めくくります。
第4楽章 ト長調・ロンド形式
Allegro moderato
これまで出てきた旋律が総まとめのように出て来るロンド楽章です。第1楽章冒頭の旋律が鮮烈に出てきた後,スケルツォ風や異国情緒溢れる旋律などが次々と奏でられて情熱的で壮麗な盛り上がりを見せます。
最後は金管のコラールにより、チャイコフスキーのバレエ音楽のクライマックスを聴くようなスケールの大きさで全曲が堂々と締めくくられます。
H.K