「バレエは、すべての芸術のなかで、最も無垢で、最も貞淑な芸術だよ。そうでなかったら、どうして人はいつも、子供たちをバレエに連
れて行くんだい。」バレエは宮廷社会の無意味な座興。そう批判した友人への、チャイコフスキーの言葉だ。
いまや日本全国でバレエを習う人の数は40万人にものぼるという。発表会憧れの演目は間違いなく、「眠りの森の美女」であろう。かつて
の私のバレエの師も、眠り~の公演は「悲願」とおっしゃっていた。音楽やバレエの聖地から遠く離れたこの日本でも親しまれているチャイ
コフスキーのバレエ。古典バレエの代表作となる音楽はいかにして生まれたのだろうか。
1881年、マリインスキー劇場支配人のヴセヴォロジュスキーは、ロシアバレエに危機感を覚えていた。この時代、バレエはロマン主義の衰
退と共に低俗化が進み、価値の低い娯楽と化していた。彼はこの原因が音楽にあるのではないかと考えた。バレリーナの音楽のとらえ方は、
音楽家のそれとは違うものがあるのだろう。当時のバレエ音楽にはリズムがはっきりとしたものが好まれ、情調的な音楽は必要とされていな
かった。音楽はいくらでも代わりの効く、いわば”使い捨て”だった。ここで彼が着目したのはチャイコフスキーだ。チャイコフスキーの音
楽には舞踊が多い。当時作曲中の交響曲第五番第三楽章もワルツである。これが、ロシアバレエ音楽革命の作曲者として選ばれた所以かもし
れない。
チャイコフスキーは作曲を快諾した。バレエの振付はマリインスキー劇場のスターであったプティパに委ねられた。ロシアバレエの改革の
ため、失敗は許されない。プティパは、作曲にあたっての詳細な構成台本をおくり、音楽はどんな調性で何拍子、どの程度の長さを要すか指
定をした。チャイコフスキーの文字から音楽への再現がいかに素晴らしいものであったかは、以下、プティパの作曲指示と演奏を聴いていた
だければわかるだろう。こうしてできた舞台はすぐにマリインスキー劇場上演目録に入り、定番となった。「この音楽は妖精物語につけるに
しては重厚すぎる」という批判はあったものの、バレエの批評に、今まで見向きもされなかった音楽の評価がされたことは重要なことであっ
たに違いない。
プロローグでテーマを提示し、幕毎に独立した形式で物語が進む。これは、交響曲の成り立ちそのものではないだろうか。眠りの森の美女
は、つまり新しいタイプのバレエ音楽であった。これは、交響作曲家であるチャイコフスキーだからこそなし得た功績だろう。
ヴセヴォロジュスキーとチャイコフスキーが目指した、バレエの伴奏としてではない「交響楽的バレエ音楽」をプログラムのメイン曲として
お楽しみいただければ幸いである。
【各曲紹介 (斜体部はプティパの作曲注文書 )】
1.序奏、リラのテーマ
4/4拍子の全合奏で、悪魔カラボスのテーマ、そして善良の妖精、リラの精のテーマが奏される。この二つの主題は全幕で繰り返し現れ、善と悪の闘いとしてドラマを音楽的に盛り上げる。
2.花のワルツ(1幕)
8~16小節の間で、全体が活気づき、各々位置につく。調べの良い、流れるようなワルツが150小節。コール・ド・バレエの踊り。
3.パノラマ(2幕)
「貴方が僕に見せてくれた神々しい方はどこに住んでいらっしゃるのですか?」真珠貝の船が動く。妖精の魔法の杖の一振り。24小節。
リラの精が王子をオーロラ姫の眠る城へ連れて行くシーンで用いられる。
4.長靴をはいた猫(3幕)
オーロラ姫と王子のパ・ド・ドゥ(二人組で踊るバレエ最大の見せ場)。
オーボエで奏されるメロディはロシア民謡を元にした曲で、若い二人を祝福するような美しいアダージョである。
5.パ・ド・ドゥよりb)アダージョ(3幕)
長靴をはいた猫と白い猫。猫の鳴き声。互いに抱き合ったり叩き合ったりする。ついにひっかき、猫の悲鳴。踊りの始まりには愛に満ちた3/4拍子、最後には速度を増した3/4拍子で猫の声を表す。
6.フィナーレ(3幕)
特徴のあるサラバンドで。高揚し、みんなを走り回らせるような興奮した音楽。ルイ14世の姿をしたアポロンが太陽に照り出され、妖精たちに取り囲まれて現れる。幕が下りる。
K.O.