ベートーヴェンと言えば(あるいはクラシック音楽と言えば?)この曲というほど知名度の高い作品ですので、改めて解説の必要はないかもしれませんが、初演当時のことなど少々ご紹介しましょう。
この作品はベートーヴェンが37歳前後だった1807年〜1808年にかけて交響曲第6番「田園」と並行して作曲され、1808年12月22日(木)にウィーンのアン・デア・ウィーン劇場で田園交響曲と共に初演されました。なお、初演時にはちょっとだけ早く完成した「田園」が5番で、現在の5番は6番とされていましたが、出版される際に現在の順番に見直されました。しかし、記録によるとこの時の演奏会は滅茶苦茶なもので、交響曲2曲の他、ピアノ協奏曲や、アリア、ミサ曲等を含む非常に盛り沢山なプログラムで4時間を超す大演奏会、しかも暖房設備もない劇場で少数の聴衆が寒さに耐えながら聴いていたとか、出演を予定していた歌手が当日突然のキャンセルとなり、ピンチヒッターになった歌手が緊張のあまり演奏できない曲があったとか、コンサートの最後に演奏された「合唱幻想曲」は途中で混乱したため中断して演奏し直したなど、残念ながら大失敗に終わったようです。
初演こそ失敗に終わったものの、翌年ライプツィッヒで行われた2回目の演奏会では成功を収めました。交響曲として初めてピッコロ、コントラファゴット、トロンボーンを導入する(第4楽章)など、音楽的には非常に重要な意味を持つ作品で、周知のとおり後世の作曲家達に大変大きな影響を与えています。
日本での初演は大正7年(1918年)5月25日、東京音楽学校管弦楽団によるとされてきましたが、その前年に久留米俘虜収容所のドイツ兵によって初演されていたことが分かっています。
ところで日本で一般的な呼び方となっている「運命」という副題は、海外ではあまり使われておらず、一般的には「第五交響曲」とか「ハ短調交響曲」と呼ばれています。海外でも時々見られる「運命」(独: Schicksal、英:Fate/Destiny等)の名称は、日本から逆輸入されたものという説もありますが、真偽のほどは分かりません。また、「運命」の名の由来となった逸話で、『ベートーヴェンの弟子アントン・シントラーが「冒頭の4つの音は何を示すのか?」と尋ねると、ベートーヴェンは「運命はかように扉をたたく」と答えた』というお話もシントラーによる捏造説が唱えられているそうです。ちなみに、交響曲第3番「英雄(Eroica)」と第6番「田園(Pastrale)」はベートーヴェン自身が付けた表題です。
あまりにも有名なこの作品は、プロだけでなく多くの大学や社会人オーケストラの演奏会で頻繁に取り上げられ、我がTPOにも過去何度となく演奏しているメンバーもおります。しかし、何度演奏しても、この作品が持つ一種独特のオーラは、演奏する人間に他の作品では味わえない張り詰めた緊張感とベートーヴェンの音楽の力強さ、時に優しさと神々しさ、勝利のフィナーレに向かう高揚感に加え、音楽そして人生への喜びを感じさせてくれます。それと同時に、拙い演奏によってこの曲の素晴らしさを損なうことへの怖れも。本日の演奏は、ぜひとも喜びを感じて頂けるよう、メンバー一同精一杯演奏させていただきたいと思います。
第一楽章:アレグロ・コン・ブリオ、2/4拍子、運命のテーマ楽章。
第二楽章:アンダンテ・コン・モート、3/8拍子、主題と3つの変奏、コーダから成る緩徐楽章。
第三楽章:アレグロ、3/4拍子、スケルツォ・トリオ・スケルツォ・コーダ → 続けて第四楽章へ。
第四楽章:アレグロ、4/4拍子、ピッコロ、コントラ・ファゴット、トロンボーンが加わります。
A.O.