グスタフ・マーラーは、1860 年、ボヘミア(現チェコ)のカリシュト村で生まれました。75 年、ウィーン音楽院に入学。ピアノと作曲を学び、作曲部門において最優秀の成績で卒業後、作曲家を志します。しかし、ウィーン楽友協会の作曲コンクールに落選するなど、現実は厳しく、やむなく歌劇場の指揮者になります。マーラーは、指揮者として高い評価を受け、ヨーロッパ各地やアメリカの歌劇場から招聘されます。97
年、オペラハウスの最高峰、ウィーン宮廷歌劇場の監督に就任します。
一方、超多忙な指揮者活動にもかかわらず、作曲活動も精力的に行い、10 曲の交響曲を完成させています。しかし、休息のない生活のため、彼の身体は次第に弱っていきます。1911
年、心臓疾患により亡くなります。享年50 歳でした。
マーラーの作品は、彼の死後、弟子のブルーノ・ワルターが取り上げる程度でした。1960 年代に入り、バーンスタインが、マーラーの作品を積極的に紹介したことをきっかけに、アメリカやヨーロッパ、そして日本でも、よく演奏されるようになりました。今では、ベートーヴェンやブラームスと並ぶ、人気のある作曲家の一人となっています。
交響曲第5 番は1902 年に作られた作品です。マーラーは、第5 番を「きわめて困難である」と評し、3回も見直しを行い、改訂版を出しています。
この曲について、練習中に気づいたことを、森を見ず、木を見るように書いてみました。
第1部
<第1楽章> 葬送行進曲 正確な歩みで葬列の歩みのように厳粛に
フルートは始まりからしばらくお休みです。4 分後、ようやく出番が来ますが、鳴りにくい低音域が延々と続きます。葬送の厳粛さを出すために、マーラーは華麗なフルートの高音を避けたように思います。
<第2楽章> 嵐のように動いて。最大の激烈さをもって
ベートーヴェン交響曲第5番の「ジャジャジャジャーン」を模した音形が頻繁に出て来ます。深刻さの中にパロディの軽みが混ざるのが、マーラーの面白いところだと思います。
そして、マーラーは、人の意表を突くことが好きなようです。楽章の後半、金管による神々しいコラールが響きわたり、盛り上がりの予感を持たせますが、しりすぼみに終わり、期待に応えてくれません。また、楽章の終わりには、大きな音を出すのが得意な低音楽器チューバに、高音でピアニシモのソロを吹かせたりしています。
第2部
<第3楽章> スケルツォ 力強く 速すぎず
天に向かうような歓喜のテーマが、ホルンにより始まります。ときどき、それを嘲笑するような死のリズムが交錯します。
中間部は、ボヘミア民謡「窓の下に小川は流れる」の旋律がオブリガート(ソロ)ホルンにより、ときには荒々しく、ときにはやさしく奏されます。
第3部
<第4楽章> アダージェット とてもゆっくりと
弦楽とハープだけで、官能的な旋律とハーモニーが奏されます。マーラーはこの楽章の半分を客席の聴衆のために、あとの半分を疲れ切った管打楽器セクションのために書いてくれたのだと感謝しています。
<第5楽章> ロンド-
フィナーレ アレグロジョコーソ 陽気におどけてこっけいに
他の楽章に劣らず技術的には難しいのですが、祭りの雑踏の中を歩いているような陶酔感を感じさせてくれます。なぜそうなるのかというと、この楽章はフーガと言われる形式で出来ており、さまざまな主題が同時に現れますが、どの楽器も、主題(の一部)を演奏します。そのために、「自分が主役かも」という気分にさせてくれるのかもしれません。最後に、2楽章で一瞬現れたコラールが壮大に奏され、トライアングルのにぎやかな連打も加わり、大団円となります。
参考文献: 音楽の友社 村井翔 「マーラー」
新潮社 小澤征爾、村上春樹 「小澤征爾さんと、音楽について話をする」
A.T.