チェコの一作曲家であるドヴォルザーク(1841〜1904)がヨーロッパに知られるようになったきっかけは、彼が尊敬するブラームスの推薦により世界的な影響を誇るドイツの楽譜出版社ジムロックの契約作曲家となったことだろう。この出版社からの依頼で作曲したスラブ舞曲第一集が大ヒットして一躍ヨーロッパ中で有名となったことをきっかけに、1884年にロンドンフィルハーモニー協会から招聘されロンドン公演を行い、自作「スターバト・マーテル」、交響曲第6番を本人が指揮し大成功を収めた。その後間もなく、彼がロンドンフィルハーモニー協会から依頼されて作曲したのがこの交響曲である。
ドヴォルザークが生きた19世紀末はチェコ民族復興運動の渦中にあった。そのころのチェコはオーストリア・ハプスブルク家の支配下に置かれ、公用語はドイツ語とされチェコ語は禁止であった。その中で「チェコ国民音楽の父」スメタナは歌劇「売られた花嫁」のようなチェコ語で書かれたオペラを生み出し、チェコ文化の復興に多大な役割を果たした。一方、スメタナとならんでチェコ国民音楽の生みの親とされているドヴォルザークは晩年までオペラにこだわり意欲的に取り組んだが、結局台本に恵まれず傑作を生み出すことができなかった。その代り交響曲、室内楽をはじめその他の分野では数多くのチェコの民族色豊かな名曲を生み出している。
この交響曲第7番はチェコ的な雰囲気を持っているが、決して郷愁だけではなく、チェコ民族の根底に流れている不屈の精神を表しているように思われる。チェコの英雄フスを称えて1883年に作曲された序曲「フス教徒」の古いフス派の聖歌を主題とするフレーズを用いていることからもそのことが感じられる。
第1楽章 Allegro maestoso
ソナタ形式で構成され、ヴィオラとチェロにより荘重な第1主題が提示される。付点音符を伴った躍動的なリズムはこの楽章全体のアクセントとなっている。フルートとクラリネットにより穏やかな第2主題が示され、2つの主題がからんで展開し、最後はホルンが第1主題を回想して終わる。
第2楽章 Poco adagio
クラリネットの郷愁を誘う序奏で始まり、フルートとオーボエの主題や牧歌的なホルンの主題がのどかな、かつ広がりを持った響きにつつまれた楽章である。
第3楽章 Scherzo: Vivace
4分の6拍子で書かれているが、3拍子と2拍子が交錯した印象的な主題で始まる。これはチェコの民族舞曲であるフリアントのリズムの特徴である。
第4楽章 Finale: Allegro
冒頭から劇的な第1主題で始まり陰鬱な様子で進んでいく。第2主題の勝ち誇ったようなチェロの明るく力強い旋律はチェコ民族の復興を願ったものだろうか。
ロンドンでの大成功によってチェコのみならず世界的な大作曲家の道を歩み始めたドヴォルザークは、1892年にアメリカに渡りニューヨークの国民音楽院院長に就任した。その後交響曲第9番「新世界より」や弦楽四重奏曲「アメリカ」、チェロ協奏曲などの名曲が生み出されることになる。
M.T.