曲目紹介

ベートーヴェン 交響曲第3番 変ホ短調 「英雄」 作品55


 Ludwig van Beethoven(1770-1827)がこの交響曲第3番を作曲したのは、1803-1804 年。非公開の初演は1804 年12 月、献呈されたロブコヴィッツ侯爵邸にて、公開の初演は1805 年4 月、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場にてベートーヴェンの指揮により行われた。当時それを聴いた人の感想は新しい独創性を認めながらも、難しく珍奇で並はずれて長く、楽しめなかったというものだった。時代を大きく先んじた芸術作品の運命であろう。
 この曲がエロイカ(英雄)と呼ばれるに至る次のエピソードがある。1804 年の夏、ベートーヴェン自室の机の上に、写譜されたスコア一揃いがナポレオンに献呈すべく、フランス大使を通じてパリに発送できるばかりに用意されていた。表題ページにはイタリア語で大きく、「シンフォニア・グランデ(大交響曲)」と書かれその下に、「ボナパルトと題す」(ボナパルトはナポレオンのこと)と記入されていた。当時、ベートーヴェンは革命後のフランスの混乱を収め第1執政となったナポレオンを大いに尊敬していたのだ。しかし、近く皇帝に即位するとの報道を弟子のフェルディナント・リースが伝えると、「結局あの男もただの(権力欲にとりつかれた)人間に過ぎなかったのか!」と叫びながら、スコアの表紙に書かれていた「ボナパルトと題す」の文字を激しく抹消し、それでも怒りが収まらずに、そのページをスコアから引きちぎって床に投げ捨てた。その後、1806 年の初版出版にあたって題は、「シンフォニア・エロイカ(英雄交響曲)、一人の偉大な人物の思い出の為に」とされたのだった。
 なお、たとえ当初ナポレオンに献呈する意志があったにせよ、作品そのものはナポレオンを描いているわけではないとされている。ベートーヴェンが目指したのは、新しい時代の英雄的な革命精神を表す交響曲を書くことであり、まさにそれゆえ作品が交響曲史上革命的ともいえる構成と精神的内容を持った作品に結実している。

第1楽章 Allegro con brio 変ホ長調 4分の3拍子。ソナタ形式。
2つの主題に加え多様な楽想を持ち、それらの材料をくまなく駆使している。曲の冒頭、変ホ長調の主和音(ハ長調のドミソにあたる音)が2回、オーケストラ全員でフォルテで鳴らされる。この和音は1楽章の全てを(さらに最後の4楽章をも)支配する。(即ち、曲のどの部分でもこの和音が“はまる”)その後すぐ、ベートーヴェン作品の生命力・推進力である「刻み」を第2バイオリンとビオラが奏で、それを背景にチェロによる朗々とした第1主題が続く。第2主題は柔和な表情で、クラリネットから他の木管楽器を経て、弦楽器に移る。展開部は入念に、対位法的に書かれて、力をもち、大きなクライマックスを作る。提示部の材料を再示させる再現部の後に、充実した結尾がある。

第2楽章 Marcia funebre : Adagio assai ハ短調 4分の2拍子。自由な3部形式。
「葬送行進曲」と記された楽章である。第1バイオリンによる主題に始まり、荘厳な歩みで曲は進んでいく。中間部はハ長調で明るくなり、英雄の生前の業績を偲ぶかのようである。その後、主要旋律の再帰ののち、曲を途切れがちに、ティンパニが死の時が近づく音をうち、木管のスフォルツァンドで終える。

第3楽章 Scherzo : Allegro vivace 変ホ長調 4分の3拍子。3部形式。
第1部は急速なスタッカートの動きで始まり、次第に力を増してゆく。中間部のトリオは、3本のホルンにより高らかに旋律を歌いあげる。それからまた、第1部が繰り返される。

第4楽章 Finale : Allegro molto 変ホ長調 4分の2拍子。2つの主題を持つ自由な変奏形式。
嵐のように凄まじい弦楽器の下降音ののち、8小節のピチカートによる第1主題が提示され、その変奏が何回も繰り返される。やがて木管による伸びやかな第2主題をへて、全体的にはフーガやその他の対位法的技巧で大きく頂点を築く。それから緊張を緩めるものの、最後にまた圧倒的な結尾で堂々と全曲を結ぶ。

A.H.


© 東芝フィルハーモニー管弦楽団 2012