曲目紹介

チャイコフスキー イタリア奇想曲 作品45


 チャイコフスキー37歳の1877 年、この年の前後はチャイコフスキーにとって良いことも悪いことも重なった時期だった。前年に文通が始まったフォン・メック夫人からは年金の援助が始まったし、2月には「白鳥の湖」の初演があった。交響曲第4番の作曲が始まったのもこの頃で、のちにこの交響曲はメック夫人に献呈されることになる。その献呈を申し出る直前、以前の教え子であったアントニーナ・ミリュコーヴァという女性から熱烈なラヴレターを受け取る。彼はこれに断りの返事を出すのだが、「断られたら死ぬ」と言われたチャイコフスキーはミリュコーヴァに会いに行き、あっさりと結婚を決めてしまった。この間、わずか1ヶ月。そしてそれから1ヶ月ちょっと経った7 月上旬に結婚式を挙げる。こうした短期間での決断は裏目に出て、彼は妻との生活が無理であると悟る。9 月中旬には冷たいモスクワ川に浸かってそのまま病死できないかと試みたというから(1週間もやったらしい)、相当に思い詰めていたようだ。
 結局、弟に頼んで偽の呼び出し状を書いてもらい、仕事に行くと言って家を脱出し、そのまま外国へと旅立ってしまう。その後の旅続きの数年のうち、2回目のイタリア滞在となった1880 年、「イタリア奇想曲」の作曲が始まった。正確なタイトルは「民謡旋律によるイタリア組曲」で、出版された歌集や、街で聴いた歌などを取り込み、自由な構成で奇想曲にまとめている。結婚生活からの逃避、モスクワ音楽院教授の辞任(78 年)で創作活動に専念できる環境を得て、明るいイタリアの風物に触れたチャイコフスキーの心情はいかばかりだったろう。この曲の作曲時期ではないが、イタリアを絶賛する手紙が残っている。
 曲はトランペットのファンファーレで始まる。滞在地の軍楽隊のファンファーレにヒントを得たとされる。
この後、金管楽器とファゴットの3連符主体のリズムに支えられ、弦楽器が低く長い息で自由な歌を奏でる。
再びファンファーレがトランペット・コルネットに現れ、今度はイングリッシュホルンとファゴットが先の弦楽器の旋律を奏する。
 一転して、イ長調の明るい旋律がオーボエ、コルネットと引き継がれ、色々な楽器に展開される。変ホの3連符中心の音を全オーケストラが激しく奏したあと、弦楽器の「タンタカタンタン」のリズムに乗ってフルート、第1ヴァイオリン、コルネットに導入の旋律が現れ、続いて流れるような滑らかな歌が弦楽器、さらにフルート、クラリネット、コルネットで奏される。それがホルンでエコーのように響き、消えていくと、曲の初めの弦楽器の旋律が戻ってくる。
それは次第に速い「タランテラ(舞曲の形式)」のリズムに変質し激しさを増していく。
 低音楽器の経過句を経て、ゆったりとした4分の3拍子になり、イタリア民謡の旋律が木管、ホルン、弦楽器全体という分厚い構成で高らかに歌われ、それが突然終わるとタランテラのリズムが再び静かに始まり、終結部へと盛り上がっていく。

T.O.


© 東芝フィルハーモニー管弦楽団 2012