曲目紹介

ハチャトリアン 組曲「仮面舞踏会」


 「剣の舞い」やバレエ「スパルタクス」で有名なソビエト連邦の作曲家、ハチャトリアンは何人なのか?という質問は、かの名指揮者:カラヤンや作曲家:フランツ・リストが何人なのか?という問いと同じくらい単純でない。祖先の血族、生誕地の当時の国名、現在の国名、など様々な視点で定義が異なってくるからである。生誕地は現在のグルジア、当時の国としてはソ連、血族的には語尾にヤンが付くことから、アルメニア系民族の祖先を持つハチャトリアンである。
 アルメニアは世界で最も早く、キリスト教を国教に指定した、コーカサス地方にある国。「ノアの箱舟」が漂着したと言われるアララト山は現在トルコ領ながら、昔のアルメニア領の山である。古代から多くの勢力がここを通過し、アルメニアはその影響下に入る。アレキサンダー大王、ペルシャ、ジンギスカン、オスマン・トルコ、ナポレオン、ロシア王朝、ソ連・・・。長い歴史を持つ大変興味深い国である。
 日本で指揮をしに来日したこともある作曲家ハチャトリアンは、目がギョロっとした、とっつきにくそうなオジサンであったが、私が世界各地で知り合ったアルメニア人たちは、人当たり良く、交渉上手で賢そうな商人ばかりだった。しかし、祖国の地を離れて活躍する彼らには、どこか暗い影があり、人知れず苦労してきた「流浪の民」のイメージもつきまとった。
 レールモントフ作の戯曲用に作曲された劇音楽「仮面舞踏会」については、賭博、破産、嫉妬、不貞、毒殺、復讐・・・と言ったキーワードが並び、それだけで、この舞踏会がウィーン貴族の華やかなるものとは全く違うものであることが想像出来ることだろう。帝政ロシアの貴族社会の持つ異常性への批判であったに違いない。

1 ワルツ
 貴族趣味的な優雅さも感じさせながら、おどろおどろしい情熱、怨念すら感じるドラマチック・ワルツである。そもそも仮面を付けた上での禁断の舞踏会であるから、危ない雰囲気が無い訳が無いのである。浅田真央がBGM に採用して演技したことで、このワルツの知名度は更に上がった。

2 ノクターン
 夜想曲と訳されるノクターンだが、星以外には何も見えない真っ暗な中央アジアの夜である。ゆったりしたテンポで、バイオリンがむせび泣きにも似た叙情的なメロディーをソロで奏でる。

3 マズルカ
 ポーランドのマズール地方で見られる3拍子の軽快なる民族舞踊。

4 ロマンス
 シルクロードが通っていた中央アジアでは、大小の部族が星の数ほどあり、部族ごとが文化共同体集落、1 つの国のようなものだ。王子と王女の恋の「ロマンス」は、政略結婚が多かった当時では、部族の存亡を賭けたもの。いつ大きな部族に飲み込まれるかもしれない2 人の悲劇的な運命を感じさせながら、刹那的で、甘く切ないメロディーは、トランペットでも歌われる。

5 ギャロップ
 本来の馬のはや駆けから始まったものが、2 拍子の飛び跳ねるダンス・パフォーマンスになっている。
無秩序に飛び回る様は不協和音の木管、周りで囃し立てるブーイングは金管が担当。カデンツァ風のクラリネットとフルートでおどけた雰囲気の小休止があったかと思ったら、すぐにどたばた大暴れが再開して幕となる。

H.O.


© 東芝フィルハーモニー管弦楽団 2010