曲目紹介

ベートーヴェン 「コリオラン」序曲


 紀元前5 世紀の古代ローマ将軍「コリオラヌス」の伝記をもとに、ウィリアム・シェイクスピアは戯曲「コリオレイナス」を執筆した。
英雄コリオラヌスの活躍とドラマティックな運命、悲惨な最期が史実とフィクションを交えて繰り広げられる。これはシェイクスピア最後の悲劇作品となった。
 シェイクスピアの「コリオレイナス」からおよそ200 年後の1802 年、ウィーンの宮廷秘書官かつ人気劇作家であるハインリヒ・ヨーゼフ・フォン・コリンは同じく「コリオラヌス」の伝記をもとに戯曲「コリオラン」を書き上げ、ウィーン宮廷劇場にて上演を行う。シェークスピアのものと同様、力強さと悲劇性をもったこの作品に、コリンの友人であるベートーヴェンは感激し、この経験が序曲「コリオラン」の作曲につながっていく。二人は歳も近く、この時点でともに30 代前半である。ベートーヴェンは5 年後にこの曲を完成させ、コリンに贈ることとなる。
 ところで1802 年というと、ベートヴェンが数年来患っている原因不明の難聴による苦しみと、失恋による煩悶の中、のちに「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれるショッキングな文書を書き記した年でもある。そのような精神状態の中、ベートーヴェンはこの戯曲から何を感じ取ったのであろうか。
 しかしながら、ベートーヴェンの苦悩自体は、この「遺書」を書くことによって解決に向かっていく。翌年に作曲を始めた「交響曲第3 番“英雄”」を皮切りに、その苦しみをエネルギーに変えたかのような曲を次々と発表していくこととなる。ヴァイオリン協奏曲、複数のピアノ協奏曲やピアノソナタといった名曲、そして多くの交響曲が生み出されたこの期間は、のちに「傑作の森」と呼ばれることとなる。序曲「コリオラン」もまた、この時期に完成する。
 力強くはじまるこの曲は、不安な雰囲気を保ちながら繰り広げられ、重く、そして悲しげにおわる。

T.M.


© 東芝フィルハーモニー管弦楽団 2010