曲目紹介

チャイコフスキー 交響曲 第5番 ホ短調 作品64


 チャイコフスキーは、1840 年4 月、鉱山技師でフルートをたしなむ父イリヤーと、ハープを弾く母アレクサンドラの次男として生まれました。幼少の頃より詩人としての才能、また音楽家としての才能を発揮しますが、両親は息子を音楽家にする気はありませんでした。
 彼は10歳でペテルブルグの法律学校へ進み19歳で役人となっています。しかし、役人生活の傍ら本格的に音楽の勉強を始め、22歳で改編されたペテルブルグ音楽院に入学、その後モスクワ音楽院へ移動します。いわゆる大作曲家にあってただ一人音楽的専門教育より先に一般的教育を受けた作曲家として成功をおさめて行きます。 そして、ロシアの民謡への愛着をもとに独自の世界を作って行きます。
 チャイコフスキーが、後期3 大交響曲の最初となる第4番を作曲した後、1888年この第5番を作曲するまで10年が経過しています。この間、曲想に対し枯渇状態にあったことが交響曲から遠ざかった一因とされています。 ただ、書簡を交わすのみで生涯会うことのなかったフォン・メック夫人からの年金支給により経済的な余裕が生まれ、僅か3ヶ月弱で破局に終わった結婚で負った精神的痛手はあったものの作曲に専念できるようになりました。
 この頃「弦楽セレナーデ」、序曲「1812 年」などを作曲しています。そして、1887年末から1888年にかけて、自らの指揮による演奏旅行を行い、それが好評であったことから、故国に戻り交響曲第5番の作曲にとりかかります。 初演は同じ年の11月に作曲者自身の指揮によりサンクトペテルブルグで行われました。聴衆は好意的でしたが、専門家の評価は厳しいものでした。
 これは、チャイコフスキーの指揮の自信のなさも一因だったようで、その後、ハンブルグでの大指揮者ニキシュによる演奏により、周囲も作曲者自身も評価を変えるに至っています。当時、チャイコフスキーは、「第5 番を火に投げ込むつもりだった」と語ったと言われています。
 第4 番に続き、第5番も標題はありませんが、スケッチには「運命への服従」といった言葉が書かれています。「音楽は語れない」と日記に記したチャイコフスキーですが、言葉の無力さを知りながら音符で饒舌に語っているように思われます。

第1楽章 Andante - Allegro con anima ホ短調
序奏では「運命の動機」といわれる付点音型の旋律がクラリネットで奏され、これが4 つの楽章を通じて姿を変えて現れ曲全体を統一しています。続いて行進曲風のリズムに乗って、クラリネットとファゴットによる第1主題が現れ、ヴァイオリンによる明るい第2 主題へと移行します。2 つの主題は激しく展開され、クライマックスに達した後第1 主題を繰り返しながら静かに終わります。

第2楽章 Andante cantabile, con alcuna licenza ニ長調
静かな導入部の後、ホルンによる大変美しい旋律が現れます。中間部では哀愁を帯びた旋律がクラリネットで奏され、さまざまな楽器により展開された後、第1楽章 冒頭のテーマが荒々しく続きます。

第3楽章 Valse : Allegro moderato イ長調
この楽章にワルツを採用したのはチャイコフスキーならではのことです。ヴァイオリンによる優雅なワルツに続き、弦による小刻みで不安げなリズムが現れます。不安が現実となるかのように「運命の動機」が現れ、強奏で終わります。

第4楽章 Finale : Andante maestoso - Allegro vivace ホ長調
序奏で弦楽合奏により「運命の動機」の付点音型が長調で奏され、管楽器に受け継がれて行きます。ティンパニに導かれて激しい第1 主題が現れ、ロシア的な旋律が推移します。木管楽器による優美ながら高揚した第2主題は弦に 引き継がれ、劇的な全奏の後全休止してコーダへ入って行きます。「運命の動機」が弦楽器次に金管楽器により高らかに絢爛豪華に繰り返され締めくくられます。

〜エピソード〜
 この交響曲第5 番ですが、第8 回定期演奏会で取り上げており、1996 年の米国公演では4 回演奏するなどTPO にとっては思い出深い曲です。そして、ニューヨークのカーネギーホールで行われた最終公演は万雷の拍手に包まれました。しかし、それに至る練習はなかなか大変で、第3 楽章中間部で弦と管が細かな動きで掛け合うところが全く合わず、河地先生が、今日はこれ以上練習しても無駄だとさっと帰られてしまったことがあります。一同呆然とし、凍りついたような雰囲気の中から自主練習が始まりました。
 でも、その時の緊張と集中的な練習が、カーネギーホールでのスタンディングオベーションを呼び起こしたと言えます。また、第4楽章後半の全奏による劇的な盛り上がり後の全休止(曲途中) で、会場から拍手が沸き起こったのも忘れられない思い出です。米国への出発前から、チケットはsoldout と聞いていたのですが、ホール前のポスターでその文字を確認したりもしました。そして、打ち上げパーティーの席上、佐波名誉団長(当時) が、「TPO は同好会ではないのだから、今日の成功に浮かれず、勝って兜の緒を締めよ」と挨拶されたのが印象に残っています。これは、TPOの道しるべとなっています。

T.M.


© 東芝フィルハーモニー管弦楽団 2009