曲目紹介

シューマン 交響曲第3番 変ホ長調 作品97 「ライン」


 ドイツロマン主義の作曲家の代表格ロベルト・シューマン。彼は1810年ザクセン王国のツヴィッカウで出版商の息子として生まれ、大学は当初法学部に入学した。チャイコフスキー、指揮者カールベームも法学部卒業者だが、シューマンはピアニストへの道をあきらめきれずに転身する。20歳の時にフリードリッヒ・ヴィークに師事し、住み込み内弟子となる。そのヴィーク家には、のちにシューマンの妻となる11歳のクララがいた。美人だったクララの肖像画は、西ドイツマルクの高額紙幣に刷り込まれていたので有名だ。ロベルトとクララの愛の物語は、結婚がなかなか許されなかったので、最終的には師匠でクララの父であるヴィークを法廷で訴えるまでして、5年間ももめた末にやっと実った事実であるとか、晩年のブラームスとの不倫疑惑まであって、シューマン研究者には音楽以外の部分でもなかなか多くの話題を提供しているものである。シューマンがピアニストの道をあきらめて、作曲家・評論家としてのロマン派芸術の振興に情熱を注ぐようにはなったのは、指を痛めたためというのが一応の通説ではあるが、謎も残っている。文学、哲学にも心酔したシューマンの人生には奇行が多く、内弟子時代の特技が妖怪・幽霊の怪談話というのも興味深いが、最たるものは、デュッセルドルフの橋の上からライン河に投身自殺したことであろう。1854年のこの事件では、何とか助けられたものの、精神病は治らず、エンデニヒの療養所でそのまま1856年に没している。我々東芝フィルが2001年の欧州公演の際に、デュッセルドルフ市トーンハレで演奏したが、そのホールのすぐ横に、彼が飛び降りた橋と、ライン河畔にロベルト・シューマン音楽大学があった。

 シューマンの作品はいずれも、まさにロマン的で抒情性の強いものばかり。代表作と言えば、ピアノ協奏曲イ短調か、ピアノ独奏曲「トロイメライ」だろうか?交響曲の分野では、未完のト短調を除くと、4曲の秀作を残している。交響曲の番号は、作曲された順になっておらず、4番が1番「春」と同時期に作曲されているため、実はこの3番「ライン」が最後の交響曲である。

 「ライン」という標題はライン河の風景を描いた標題音楽のような誤解を与えやすい和訳であるが、もともとシューマンが「ライン河畔の町での生活の一片」と名付けたところから来ている。独語の「ライニッシュ」を本来の作曲家の意図からどう意訳するか難しいところであるが、「ライン地方風」とでも言うべきか。この曲が作曲されたのは、シューマンがザクセン王国の首都ドレスデンからライン地方のベルク大公国の首都デュッセルドルフに引っ越したばかりの年、1850年。ザクセン人とは大いに異なるライン地方の人々、言うなれば「ライン人」の明朗快活な民族性や生活感を反映したものとしての「ライン風」なのであって、「ライン河」というニュアンスではない。


第1楽章 レープハフト 変ホ長調 4分の3拍子、ソナタ形式
「いきいきと」と訳されることが多いが、「活気のある、賑やかな」または「色彩感が濃い」と言った作曲者のライン地方の生活の印象であろうか?毎週日曜日夜のN響アワーのテーマ音楽なので、おなじみのメロディーである。

第2楽章 スケルツオ ゼア・メーシッヒ ハ長調 4分の3拍子
「大変穏やかに」と日本語に訳されると何も疑問を持たないのであるが、ドイツ語のニュアンスでは「適度な、節度ある、程々の」という形容詞に、「大変」という副詞がついているので、シューマンから哲学的禅問答を仕掛けられているような気もしてくる。曲は民族舞踊のレントラー風。ライン地方の踊りだろう。

第3楽章 ニヒト・シュネル 変イ長調 4分の4拍子 三部形式
この楽章の指示「速くなく」は明解。メインのテーマは木管楽器が柔らかく提示し、サブのテーマはヴィオラ、ファゴットが演奏。

第4楽章 ファイアーリッヒ 変ホ長調 4分の4拍子
指示は「壮麗に」との訳が多いが、ケルンのあのゴシック形式の大聖堂を思い浮かべながら補足するなら「儀式的に、荘厳に」であろうか?この楽章にはもともと「荘厳な儀式の伴奏の性格をもって」とシューマンが付記していた。ケルンの大聖堂での枢機卿昇格式の祝典に感銘を受けた際の印象にもとづくものとされている。テーマはホルンと、この楽章からやっと出番をもらっている3本のトロンボーンによって演奏される。やはり神聖な場にはトロンボーンがふさわしいのである。

第5楽章 レープハフト 変ホ長調 2分の2拍子 ソナタ形式
1楽章と同じ指示だ。「いきいきと」より「賑々しく」だろうか?前の楽章の宗教的な儀式から一転、無礼講のお祭りである。第一テーマではファンファーレも鳴り響く。コーダでは4楽章のテーマが現れる。明るさ陽気さが盛り上がり、加速した後のクライマックスで曲を閉じる。

2楽章の弦のピチカートに管楽器がかぶさる部分をはじめとして、シューマンの交響曲の幾つかの部分を、後のオペラ指揮者で作曲家のグスタフ・マーラーは、「管弦楽法がなっとらん」と言って、編曲してしまった。4楽章の冒頭もその例で、あんな高い音域で弱音で和音を上手に混ぜるのは至難の業。シューマンは楽器の使い方、管楽器の響かせ方に無頓着だった、と言われる所以である。そのように管弦楽法の欠点を言われることもあるシューマンの管弦楽作品だが、その欠点を補っても余りある価値が作品には溢れており、それが彼の抒情性やファンタジー性であり、まさにシューマンはロマンティッシュなのだ。

M.O.


© 東芝フィルハーモニー管弦楽団 2009