ミハイル・イヴァノヴィチ・グリンカ(1804〜
1857)は、ロシア西部スモレンスク近郊のノヴォス
パスコエの貴族の家系に生まれた。19世紀のロシア
音楽界は大部分がイタリア、フランス、ドイツからやって
来た西欧の作曲家たちの手に握られており、その影響を
大きく受けていた。そのような中、国内外で広く名声を
勝ち得た最初のロシア人作曲家がグリンカである。
ムソルグスキーらのいわゆるロシア国民学派5人組にも
大きな影響を与えており、しばしば「ロシア国民楽派の
始祖」とも呼ばれている。
今回演奏する「ルスランとリュドミラ」序曲は、当時
交友があったロシアの大詩人プーキシンが、古い民話に
基づいて書いた同名の長詩をオペラに書き換えたものの
序曲である。
このオペラは、グリンカの大きな転機となった1830年
から1834年にかけての西欧旅行からの帰国後、オペラ
「イヴァン=スサーニン」を作曲したのに続き、1836年
から42年まで6年間もかけて完成したが、初演は思いの
ほか不評で、グリンカは失意のまま再び西欧への旅に出て
しまう。
物語の設定は古代ロシア、キエフ公国時代。キエフ大公
スヴェトザールの娘リュドミラには3人の求婚者たちが
おり、ロシアの若者ルスランが選ばれて婚礼の運びとなる。
しかし、祝宴中に悪魔チェルノモールに花嫁をさらわれて
しまう。そこでスヴェトザール公は、3人の求婚者たちに
「娘を助け出した者に娘を与える」と条件を出す。3人の
男達は悪魔からリュドミラを救い出す旅に出るが、最後は
リュドミラの思い人であるルスランが悪魔のもとから
彼女を救い出し、再びめでたい大団円となる。
曲はニ長調、2/2拍子、ソナタ形式である。第一主題
部にはオペラの第五幕の最終の婚礼の場面に先立つ華麗
な音楽が使われる。冒頭は、せわしなく駆け巡るトゥ
ッティで始まり、ヴァイオリン、ヴィオラ、フルートに颯爽
としたメロディが現れて発展してゆく。やがて第二主題
がヴィオラ、チェロで始まる。この第二主題はオペラの第二
幕「ルスランのアリア」から採られたもので、第一主題
とは対照的なゆったりとした旋律が美しい。息を潜め
るような展開部の後、次第に再び盛り上がり、激しい弦合
奏の再現となる。
そのほか有名なのが、終盤のファゴット、トロンボーンが
そろって全音音階で強奏する下降の旋律である。これは
第一幕で悪魔チェルノモールが花嫁を奪いに現れる時に
奏されるモティーフで、グリンカが「この世ならぬ異様な
もの」を表現するために、あえて通常のドレミファ
ソラシドの概念を逸脱した全音音階を用いた特別な
くだりとなっている。
T.S.