ベートーヴェン(1770-1827)がヴァイオリン協奏
曲の王とまで称されるこの傑作を書いたのは1806年
である。彼はこの時期に交響曲第4番やピアノ協奏
曲第4番なども書いているが、これらの作品が共に
これまでにない優美さ、精神的な落ち着き、崇高さ
を兼ね備えているのは偶然ではなかろう。この頃に
は、彼は聴覚を殆ど失うという悲劇を何とか受容す
るに至り、比較的平穏で充実した日々を過ごしてい
たものとみられる。 初演は同年12月23日、ウィーンのアン・デア・ウ
ィーン劇場においてであった。独奏は、ベートーヴ
ェンの友人であり同劇場を率いる名ヴァイオリニス
トでもあったフランツ・クレメント(1780-1842)が
担当した。曲の完成がぎりぎり初演に間に合うよう
な状態であったため、彼はスコアを確認する時間な
どなく本番を初見で行うはめになり、しかもその演
奏会のプログラム前半後半で1楽章と2・3楽章とを
分割し、間に自作のヴァイオリン曲を挟んだ形で演
奏することになったようである。これでは到底その
素晴らしさが聴衆に理解されるはずもなく、その後
しばらくこの名作は殆ど演奏される機会がなくなっ
てしまった。 ベートーヴェンの死後だいぶ経った1844年にメン
デルスゾーン(1809-47)の指揮のもと神童ヨーゼフ・
ヨアヒム(1831-1907)が演奏し大成功を収めたことが、
この曲がその価値に見合った地位を確立していくき
っかけとなった。
第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポでは、まず管弦楽が3分もかけて主要なテーマを全て示して
盛り上がった後、突如訪れる静けさの中、独奏ヴァ
イオリンが印象的な上昇オクターヴ音型で登場する。
第1・第2主題とも、ヴァイオリンが歌うに適した美
しく詩的なものであるが、管弦楽に委ねられた際に
は様々な装飾で無限性を紡ぎだす側面ももつ。楽章
の交響曲的広がりに寄与するいくつかの副次的動機
の中で最も重要なのが、初めのティンパニによる4
音連打であり、この律動が全体を通して大変重要な
役割を担っている。25分にも及ぶ壮大な楽章である。
第2楽章ラルゲットでは最初に弱音器を装着した 弦セクションによる10小節にわたる主題呈示があり、
以降独奏ヴァイオリンの優美な装飾や楽器の彩りを
変えて主題を3回繰り返す。ここで独奏ヴァイオリ
ンが雄弁に語りかけ崇高さの極みにある第2主題へ
と至る。両主題形を変えて再現したのち予期せぬフ
ォルティッシモにて楽章を閉じる。嵐のようなフィ
ナーレになるのかと予想させるがそうはならない。
第3楽章ロンド:アレグロは極めて明るい軽快なソ ナタ・ロンド形式の楽章である。呈示・再現部での
ホルン重奏による助奏が牧歌的な性格を与えており、
中間部は美しいト短調の旋律を独奏ヴァイオリンと
ファゴットのデュエットで奏するのが印象的である。
カデンツァ後、変イ調で主題が奏されるが、オーボ
エを迎え入れる形でニ長調へと回帰し大団円となる。
H.M.