フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディー(Felix
Mendelssohn Bartholdy)は1809年2月3日にハンブルクで生まれ、1847年11月4日にライプツィヒで没した、前期ロマン派のドイツの作曲家である。他にハンブルク同郷の作曲家ではブラームスが挙げられる。両親ともユダヤ系で、銀行家の裕福な家に生まれた。小さい頃から音楽の教育を受けていたが、それは音楽家として育てるためではなく、教養のひとつとして身につけるために受けていたものであった。しかし、モーツァルトと同じく子供の頃からその才能があらわれ、9歳の頃すでに演奏会でピアノを演奏していた。作曲は、8歳からツェルターについて指導を受けている。その頃からヨーロッパ各地を旅行してまわり、将来の音楽的基盤となる見聞を広め、さまざまな芸術家と出会っている。結局、自ら音楽家になることを希望した。16歳のとき父親とともに当時パリ音楽院の院長をしていたケルビーニのもとへ行き意見を求め、音楽家として大成するとの太鼓判をおされて、晴れて音楽家となった。
メンデルスゾーンの作風のひとつに、文学や標題との結びつきがある。メンデルスゾーンの場合は、その標題のなかの一場面を思い起こさせるような表現が得意で、情景描写と心象描写の両方をバランスよく表現できている。序曲では「真夏の夜の夢」、「静かな海と楽しい航海」、「フィンガルの洞窟」など楽しめる曲がめじろ押しである。交響曲は、5つの交響曲のうち、第2番から第5番まで標題がついている。
ところで交響曲第4番は、実は3番目に書かれた交響曲である。出版順序の関係で実際に書かれた順番と違っていて、実際の作曲順は、1、5「宗教改革」、4「イタリア」、2「賛歌」、3「スコットランド」となる。この順番に聴いてみることをお勧めしたい。(余談になるが、出版社が出版順に番号をつけることがあるが、作曲順に従ってつけるべきではないだろうか。メンデルスゾーンの場合は、4曲も標題がついているので、今からでも、交響曲第3番「イタリア」と呼べば情報の行き違いはなさそうである。)
さて、「イタリア」であるが、イタリア旅行の印象を題材に書かれた。ドイツ、とくに、北ドイツ出身のメンデルスゾーンが受けたイタリアの印象が読み取れる。作曲法はドイツ風だが、曲の雰囲気にイタリアを感じることができると思う。第4楽章にはサルタレッロ(イタリアの民族舞踏)という標題がつけられ、タランテラというイタリア・ナポリ地方の民族舞踏のリズム(タッタタタタ)が使われている。このリズムはチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」の全曲版にも出てくる。先に書いたブラームスもやはりイタリア旅行には多大な印象を受け、ピアノ協奏曲第2番の第4楽章などにその雰囲気が反映されている。
1830年のイタリア旅行のこの曲の第1稿は、作曲途中だったものを、ロンドンのフィルハーモニー・ソサイエティの作曲委嘱により1833年、24歳のとき完成し、初演されている。しかしそれは現在私たちが聴いている曲とは異なる。この曲はその後2回改作されているため現在の「イタリア」は第3稿であり、メンデルスゾーンの死後発見・出版されたものである。
第1楽章 Allegro vivace イ長調 8分の6拍子
メンデルスゾーンらしい緻密な編曲のなかにイタリアの印象を連想させる雰囲気が織り込まれている。フーガ的手法も多く聴きどころである。コーダで第2ヴァイオリンとフルートで奏される印象的なメロディーが楽しい思い出を振りかえって楽章を締めくくっている。
第2楽章 Andante con moto ニ短調 4分の4拍子
緩徐楽章。冒頭の、祈りともとれる朗々とした音型ののち、素朴な歌があらわれる。楽章をとおして、弦のリズムと流れるようなメロディーが次々とおりなして出てきて、美しく静かな世界を描いている。遠い昔のイタリアを想起させる。
第3楽章 Con moto moderato イ長調 4分の3拍子
リズムが強調されず、流れるようなメロディーで、従来のものと違った新しいスケルツォの形態である。中間部のトリオは躍動感のあるリズムが中心になっている。(第1ヴァイオリンとフルートにあらわれる上行形のリズミックな音型は初稿ではなめらかなリズムであった。)
第4楽章 Saltarello, Presto イ短調 4分の4拍子
タランテラのリズムと滑らかな音型が主として出てくる。南欧のリズムといえども短調という調性選択により、適度な緊張感が確保されている。
Y.M.