アラム・イリイチ・ハチャトリアン(1903-1978)は、大まかには旧ソ連、ロシアの作曲家という分類になるかと思いますが、黒海とカスピ海の間、コーカサス地方のグルジアの首都トビリシで生まれます。父はアルメニア人の製本工で、ハチャトリアンは音楽を専門で学びませんでしたが、この地は古くからの温泉保養地で、各地の民族が交流し、ハチャトリアンは人々の演奏を聞くことで民族音楽を覚えます。その後トビリシの商業高校からモスクワ大学理工学部へと進むのですが、モスクワで演出家になっていた兄に連れられ、ベートーヴェンの「第九」の演奏会に行き、音楽家になることを決意します。楽器演奏はほとんど出来ないものの、膨大な数の民謡を暗記していたハチャトリアンは1922年にグネーシン音楽学校への入学を認められます。そしてチェロと作曲を学びさらには1929年からモスクワ音楽院に進みます。卒業のときに作曲された「交響曲第1番」で注目を集めますが、内外に名を知られるようになるのはバレエ「ガイーヌ」でした。第2次大戦中の1943年、キーロフ劇場で初演されたバレエは大成功を収めます。戦後のハチャトリアンの作品は形式主義に陥っているとしてジダーノフ批判を受けるものの、その後の作品で名誉を回復することになります。1950年代からは指揮者、教育者としても活動し、「ソヴィエト人民芸術家」「社会主義労働英雄」などの称号を贈られています。指揮者活動では自作自演の録音など、貴重な資料も多く残されています。
「ガイーヌ」は、アルメニアで実際にあった事件を元に作られたものです。舞台はアルメニアのコルホーズ(ソ連の国営農場)で、夫の公金横領を告発したガイーヌは、夫に殺されそうになるものの、警備隊長に助けられ、警備隊長と結ばれるという結末です。コルホーズが舞台で、不正を許さない英雄的市民、というソ連当局に喜ばれそうな題材ですが、音楽は民族色豊かで、ガイーヌのテーマはアルメニア、剣の舞はクルド族、レスギンカはレスギ族と、民族音楽からの取られた旋律があふれています。そして、初演においてもこれらの民族色豊かな曲が高く評価されたのでした。本日演奏する「剣の舞」は、音楽の授業はもちろん、吹奏楽のレパートリーとしても有名で、皆さんよく聴かれていると思います。クルド族が出陣する際に、剣を持って踊るというこの激しい音楽は一度聴くと忘れられない印象を与える曲でしょう。ところで、「ガイーヌ」で最も有名な「剣の舞」ですが、実は公演の前日になって、1つ場面を追加する必要から、徹夜で作曲されたと伝えられています。
後年、この曲があまりに有名になってしまい、「ミスター剣の舞」などと紹介されて御本人はあまり気分がよくなかったらしく、「こうなると分かっていたら、この曲は書かなかっただろうに」と言っています。本日ご来場の皆様も、機会があったらぜひ、他の曲も聴いてみて下さいね。
(参考文献 寺原 伸夫「剣の舞 ハチャトゥリアン
師の追憶と足跡」
ヤマハ おんがく日めくりホームページ、
中河 原理 監修「クラシック作曲家辞典」)
T.O.