パブロ・デ・サラサーテ(1844−1908)は、スペイン北部、仏国境近くのパンプローナで生まれました。早くから才能を発揮し、10歳のときにイザベル女王の御前で演奏し、ストラディヴァリウスのヴァイオリンを下賜され、パリに留学することになります。12歳でパリ音楽院に入学、卒業後17歳のときに里帰りし、再びイザベル女王の御前で返礼としての演奏を披露します。女王はサラサーテの成長ぶりに感動し、20歳以上でなければ授けられない勲章を、規則を曲げて授与してしまったと伝えられています。また、マドリード音楽院はサラサーテを教授に迎えるという破格の申し入れをしますが、サラサーテはこれを断って、演奏家としての道に進むことにします。
サラサーテの演奏は完璧で、確かな技術に裏付けられておりすばらしいのですが、それゆえか音楽的な情感に乏しいという批判もあったそうです。エジソンが発明した蝋管の蓄音機に自身の録音が残っているそうですが、細かいところまではさすがに分かりにくいようです。それはさておき、演奏会は次々に成功し、サラサーテは欧州全土を始め、世界各地を旅行し大成功を収めます。当時の作曲家たちはサラサーテのためにヴァイオリンをソロとする曲をこぞって書きます。サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲の第1・3番、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第2番、ラロの「スペイン交響曲」(交響曲とありますがソロ付きの管弦楽曲)などがそうです。サラサーテ自身も作曲し、本日演奏する「ツィゴイネルワイゼン」を始め、「カルメン幻想曲」、「スペイン舞曲集」などの作品が残されています。サラサーテは弟子を取らなかったため、直接教育された人はいませんでしたが、同時代のヴァイオリン奏者たちには多大な影響、刺激を与え、奏法の発展に寄与したと言えるでしょう。
「ツィゴイネルワイゼン」は1878年に作曲されました。題名はジプシーの歌という意味です。前半はヴァイオリンソロの自由な歌とオーケストラが掛け合い、後半早くなるとハンガリーのチャールダシュのリズムで曲は進みます。ジプシーとは、西アジアからヨーロッパにかけて生活する放浪の民のことを言い、エジプトから来た、という誤解がジプシーというネーミングになったという説があります。差別的な意味があるため、最近はロマ民族と呼ばれます。インドを起源に、アルメニアからトルコを経由してヨーロッパに達したと考えられていて、「ツィゴイネルワイゼン」の旋律がロマ民族特有の・・というわけではありません。
と、こういう細かい話は脇に置いて、本日はこの曲の魅力に浸っていただければ、と思います。
(参考文献 浜田 滋郎「スペイン音楽のたのしみ」、
ヤマハ おんがく日めくりホームページ、
中河 原理 監修「クラシック作曲家辞典」)
T.O.