曲目紹介

ビゼー 「アルルの女」第2組曲よりメヌエット、ファランドール


 ジョルジュ・ビゼー(1838-1875)が生まれたころのパリは未だ革命やクーデターが繰り返され、きな臭い時代ではありましたが、両親が裕福で音楽環境に恵まれていたこともあり、ビゼーは順調に才能を発揮させて行きます。9歳でパリ音楽院に入学、さまざまな科目で1等賞を得て卒業します。在学中、交響曲第1番やオペラ、カンタータなどを作曲し早熟さを発揮するものの、卒業後は作曲家として独り立ちするために苦労を重ねます。1869年、恩師の娘ジェヌヴィエーヴ・アレヴィを妻に迎えたころから作曲活動が活発になり、成功を収めます。1872年にドーデの戯曲への付随音楽「アルルの女」を作曲、初演は成功しませんでしたが、ビゼーはこの曲に自信があったので、「アルルの女 組曲」として管弦楽編成を大きくして発表、思惑通りこれは成功します。これが後の「第1組曲」で、本日演奏する「第2組曲」は友人エルネスト・ギローがビゼーの死後、新たに抜粋・編曲したものです。
「アルルの女組曲」や序曲「祖国」などで名声が高まったビゼーは、オペラ「カルメン」に取り掛かります。しかし、題材があまりに庶民的かつ過激で聴衆の理解は得られず、1875年3月の初演は大失敗に終わります。ビゼーは失意のまま、3ヶ月後にこの世を去りました。「カルメン」の真価を初めて理解したのはウィーンの聴衆で、同年10月のウィーン公演は大好評を博し、ブラームスはこれを観るために20回も劇場に足を運んだと伝えられています。
アルルとは仏伊国境近くの町で、美人が多いとされるそうですが、劇中にはアルルの女は登場せず、何か象徴的な存在になっているようです。
【あらすじ】
主人公の農夫フレデリはある日出会ったアルルの女にぞっこん。しかし親は幼馴染のヴィヴェットとの婚約を勧め、素性の知れないアルルの女は諦めろと諭します。ヴィヴェットとの結婚式の夜、昔の恋敵ミティフィオがアルルの女と駆け落ちするという話を聞いたフレデリは逆上し、ミフィティオを追って窓から中庭に身を投げてしまう、という結末です。
★メヌエット
 この曲は別の歌劇「美しいパースの娘」にあったもので、単独で有名になった今は、逆に「アルルの女」の劇中に編入されています。ハープを伴奏にフルートが歌うというパターンは後半、当時最新の楽器であったサキソフォンを加え、美しく展開されます。
★ファランドール
 村人たちの合唱(王様の行進)で始まり、一旦静かになった後は、ファランドールの踊りで徐々に盛り上がり、激しいクライマックスを迎えます。
(参考文献 ヤマハ おんがく日めくりホームページ、
ミシェル・カルドーズ「ビゼー カルメンとその時代」、
中河 原理 監修「クラシック作曲家辞典」)

T.O.


© 東芝フィルハーモニー管弦楽団 2004