エドワード・エルガー(1857-1934)はロンドンから北西に200km弱のウースター市郊外で生まれました。楽器店を経営し、自身もオルガニストだった父から音楽の手ほどきを受けたものの、専門教育は受けず独学で音楽を学びました。13歳のときには教会のオルガニストとなり教会音楽の作曲もしているので、才能には恵まれていたようです。15歳のとき、姉の誕生日に歌曲「花言葉」をプレゼントする、などいい話も残っていますが、もちろんこういう話となれば、アリス・ロバーツとの婚約記念としてプレゼントされた「愛の挨拶」は外せません。日本でも、結婚披露宴で演奏されたりBGMとして流れたりすることがあり、題名は知らなくても曲は覚えている方も多いと思います(譜例1)。アリスとは、エルガーの教えていた音楽教室が縁で結婚することになるのですが、他にも結婚3周年を記念して「弦楽セレナード」を作曲するなど、愛妻家であったことがうかがえます。
エルガーが作曲家として国内外に名声を博するのは、42歳の時の「エニグマ変奏曲」初演で、その2年後、行進曲「威風堂々」第1番が作曲されます。曲は、ニ長調という明るい調性を持ちますが、これとはほとんど関連が無さそうな雰囲気の激しい調子の前奏があり、すぐさま勇ましく推進力に満ち溢れた主部の行進曲に入ります。緩やかな中間部(トリオ)に入ると、作曲家自身が「一生に一度しか出来ない」と言った美しい旋律が現れます(譜例2)。この旋律には、時の国王エドワード7世の助言により「希望と栄光の国」というタイトルで歌詞が付けられ、今でも英国の第2の国歌として広く親しまれています。再び行進曲−トリオの旋律が現れ、大編成の管弦楽をフルに駆使し大いに盛り上がって曲をしめくくります。初演当時から曲の評判は非常に高く、ロンドン初演ではアンコールに応えて3回演奏されたと伝えられています。
その後2曲の交響曲(第3番は未完)、協奏曲、室内楽曲などを精力的に発表し、67歳でこの独学の音楽家は王室音楽主任となります。後には准男爵にも列せられますが、1934年、76歳で生涯を閉じました。生家は博物館になっており、ウースター市のエルガー楽器店跡地の前には銅像が建てられています。また、今年は没後70周年の記念として、6月にウースター州でエルガー・フェスティヴァルが開催されます。わが国でも、3月にオラトリオ「使徒たち」が初演されるなど、エルガーの音楽を体験できる機会が増えているようです。
(参考文献 水越 健一「エドワード・エルガー希望と栄光の国」、中河
原理 監修「クラシック作曲家辞典」)
T.O.
譜例1
譜例2