この曲が作曲された1937年とは、ショスタコーヴィチにとっては受難の時代である。それは、スターリンによる粛清の風が吹き荒れる中、1936年に機関紙『プラウダ』により痛烈な批判を浴びせられることに端を発する。公的な機関紙により、批判を受けるということは、粛清につながる。つまり、ショスタコーヴィチはその時、作曲するものに、自分自身の生命そのものがかかっていたのである。
そうした中作曲された交響曲第5番は、批判を受けていた「形式主義的偏向」をあたかも清算するような内容で書かれている。つまり、「克服から勝利へ」というベートーヴェン以来の図式の復活である。音楽的にも、それまでの斬新性からはうってかわって、分かりやすいものへと変化している。この変化が、後に「強制された歓喜」であるとの憶測を生む最大の要因である。
ではここで、この曲に対し、ショスタコーヴィチ自身が残したコメントを紹介する。
「この交響曲の主題は人間性(人格)の設立ということである。この作品は終始抒情的に着想されてはいるが、その中心に私は1人の人間を据えて、そのあらゆる体験を考えてみた。フィナーレは、それまでの諸楽章の悲劇的に緊迫したものを解決し、あかるい人生観、生きる喜びへと導く」
このコメントに対し、『ショスタコーヴィチの証言』(後年、ショスタコーヴィチの語録をまとめたもの。偽書の疑いがあるとも噂されている)では、次のように述べられている。
「交響曲第5番=これは《ボリス・ゴドゥノフ》の場面と同様、強制された歓喜である。鞭打たれ、『さぁ、喜べ、喜べ、それがおまえたちの仕事だ』と命令されるのと同じだ。鞭打たれたものは立ち上がり、ふらつく足で行進をはじめ、『さぁ、喜ぶぞ、喜ぶぞ、それがおれたちの仕事だ』という」
どちらの解釈が正しいのかはわからない。ただ、交響曲第5番がソ連当局に認められ、『プラウダ』批判に対する答えだと受け取られたことにより、ショスタコーヴィチが生き長らえ、その後も数々の作品を書き続けられたことは事実である。
晩年にショスタコーヴィチは以下のように語っている。
「音楽について語ることは難しい。これは特別な才能をもった人であって、はじめてできることだ…。しかし音楽についてのどんな言葉も、その音楽そのものが与えるほど強く、聴衆の心に訴えることはできない」
ショスタコーヴィチが、交響曲第5番で何を描きたかったのか。それは、素直な心で曲に耳を傾けるしかないのではないかと思う。
第一楽章 モデラート−アレグロ・ノン・トロッポ
モデラートは、複雑な構造のソナタ形式をもつ。主楽想二つと副楽想を提示した後に、その諸要素による自由な変形や組合せを展開する。展開部はその規模が極めて大きい。提示部のテーマ的素材を用いながら、切れ目のない激しい奔流のように展開され、最後は示威的な行進、巨大なクライマックスに成長する。
第二楽章 アレグレット
叙情性とドラマ性をもった内容の緻密な第1楽章のあとで、この第2楽章はスケルツォという名前どおり、楽しいくつろぎの音楽である。ショスタコーヴィチはスケルツォを得意とするが、特にこのスケルツォは自然で、親しみやすい旋律にあふれている。全体は複合3部形式で書かれている。
第三楽章 ラルゴ
ショスタコーヴィチは次のように語る。「私は全ての楽章の中で第三楽章に一番満足している。ここで私は全体として切れ目のない動きを与えることに成功した。」と自ら評価しているように、深い哲学的思索、厳しい敬謙さ、透明な悲しみ、熱い叙情的な告白が混在したショスタコーヴィチ最上のラルゴとなっている。
第四楽章 アレグロ・ノン・トロッポ
この楽章は、有名な主題およびその変形を中核とした光彩陸離たる行進曲風のフィナーレで、一時ポコ・アニマートで四分音符の起伏の上に流麗な旋律も歌われるが、やがて主旋律が復帰し、スケルツォの主題を思わせる旋律と組み合わされる。この楽章は、リズムの大饗宴を現出するが、コーダでは八分音符連打の圧倒的勝利をもって主音ニ音のユニゾンで曲を閉じる。
Y.F.