曲目紹介

チャイコフスキー 弦楽セレナード ハ長調 作品48



 チャイコフスキーの生涯は、孤独と苦悩に満ちたものであったといわれている。生まれつき内気な性格であったためなかなか友達もできなかった。8歳のときに父親によって法律学校に寄宿生として入学させられるが、このことは最愛の母と無理矢理引き離されることを意味し、彼の心の中に大きな恐怖として生涯の傷として残ることになる。後に再び家族の元に戻ったが母親のそばに居られたのもつかの間のことで、母親の死という出来事によって永遠に引き離されてしまった。
 そんな彼も28歳の時にモスクワを訪れたイタリア歌劇団のメゾ・ソプラノ歌手デジーレ・アルトーと恋に落ちた。歌手としての音楽的な才能はもちろんのこと、細かい気配りができ人間味にあふれる彼女は、彼が敬愛する母親に匹敵する理想の女性であり、お互いに強く惹かれあって結婚まで真剣に考えるようになっていた。しかし、彼女の演奏活動に振り回され、その結果彼の作曲家としての才能が埋もれてしまうことを恐れた友人ニコライ・ルービンシュテインらによって引き離され、ついに二人は結婚を果たすことはできなかった。その後彼は38歳で結婚したが、デジーレとは違い、知性や芸術といったものとはまったく無縁な彼女との結婚生活は彼を苦しめる一方であり、結局彼は愛情というものに恵まれない人生を送ることとなってしまった。そんな彼にとって、情熱的で感情のこもった人間関係というものは強い憧れであったのである。
 「作曲家が自分を表現する手段は交響曲かオペラがふさわしい」という信念を持っていたチャイコフスキーであったが、交響曲第4番を作曲後の10年間、交響曲を作曲していない。交響曲の創作に対しては熱い思いを抱きつつも、それとはまともに向かい合えないスランプに陥っていたためである。弦楽セレナードはこの10年の間に作曲されたものである。
 この曲の初演は1881年の春、ニコライ・ルービンシュテイン指揮のもと、モスクワ音楽院の生徒たちによって非公開に行われ、モスクワ音楽院監事のコンスタンチン・アルブレヒトに献呈された。セレナードとは「小夜曲」のことであり、ある特定の人に対して敬意を捧げる、もしくは祝賀の意味を表す。この弦楽セレナードはこういった意味で作られたといわれている。しかし、「セレナード」にはもう一つ別の意味もある。夕べに愛する恋人の家の窓辺で歌う歌や奏でる曲のことも意味する。この曲は溢れんばかりの重厚な音から流れ出す。大きな旋律の流れの中のあらゆるところに抑えきることのできない、大きな情熱と切なさが溢れているように感じられる。また3楽章のエレジーは弦楽合奏の曲の中で最も美しい作品のひとつといわれるほど叙情的で切ない。彼の一生を調べていると、彼の心の中の切望しても決して満たされることのなかった情熱的な心や愛情への憧れの心が痛いほど伝わってくる。また、この曲が作曲されたときの彼の環境から言っても、スランプのために表現することのできなかった交響曲への情熱も滲み出ているのではないかと感じる。だとすれば、一般的に伝えられているこの曲のセレナードとしての意味合いがどうであれ、私には遠い昔に別れ別れになった母親や、手に入れることのできなかった彼にとっての本当の愛、そして作曲に対する情熱といったあらゆるものに対する恋の歌に思われて仕方がないのである。

N.F.


© 東芝フィルハーモニー管弦楽団 2002