「小組曲」は、フランスの作曲家クロード・ドビュッシー(1862-1918)によって、元々ピアノ連弾曲として作曲されました(1889)。オーケストラ版は友人で指揮者のアンリ・ビュッセル(1872-1973)の編曲(1907)によるものです。
ドビュッシーは従来の作曲技法の伝統にとらわれない斬新な楽風で20世紀の音楽の扉を開き、後の作曲家達に多大な影響を与えました。
「小組曲」はそんなドビュッシーの初期の作品で、彼の楽風がまだ形成期にあったころのもの
です。いずれも対照的な中間部を持つ4曲で構成されています:
第1曲 En Bateau(小船にて)
ハープの奏でる分散和音の上にフルート、木管、弦の奏でる優しい旋律が心地よく揺れ、動きのある中間部へと導き、夢見心地の終末部へと続きます。
第2曲 Cortege(行列)
「ちょこちょこぴょんぴょんとはねていく」、夢の中のような行列が想像される軽快な旋律と、対照的な中間部から構成されています。
第3曲 Menuet(メヌエット)
オーボエとクラリネットの奏でる前奏から、バイオリン、木管の奏でる物憂げな旋律が導き出され、ファゴット、ホルン、ヴィオラの奏でる心温まる中間部へとつながり、はじめの旋律で終わる、優美な舞踏の曲です。
第4曲 Ballet(バレエ)
ビートの利いた快活な旋律によって、うっとりするようなワルツが挟まれています。動きのある終結部はフルオーケストラでとても色彩豊かに終わります。
さて、ドビュッシーは18歳の時、彼のパトロンでもあった14歳年上のヴァニエ夫人に激しく恋をしていました。彼はバンヴィルの詩を元にした「艶めく宴」という歌曲を夫人にささげていますが(1882年)、実はこの曲の旋律も「小組曲」第3曲に取り込まれているのです。また、ヴェルレーヌによる同名の詩に現れる題名が「小組曲」第1曲、2曲の題名となっており、夫人への思い入れが見え隠れしています。実はドビュッシーは1887年、行き過ぎた行動により、ヴァニエ氏の怒りを買い、以降夫人に会えなくなっているのです。
「小組曲」は、パリ万国博覧会が開催された1889年に作曲されています。さまざまな国の音楽が演奏され、ドビュッシーにも大きな影響を与え、転機となりました。「小組曲」第4曲でも、例えば、後の代表作「弦楽四重奏」につながる特徴的な3度-2度の音形がちりばめられています。感傷を断ち切り、前向きに足を踏み出そうとしているようにも見えます。
M.Y.