ノルウェーを代表する作曲家エドヴァルト・グリーグ(1843〜1907)は、ノルウェーの港町ベルゲンで生まれた。6歳の頃から母のピアノのレッスンをうけ、15歳からライプチッヒ音楽院で学んだ。その後、ノルウェーのクリスチャニア(今のオスロ)フィルハーモニー管弦楽団の指揮者となるが、指揮活動、演奏活動のかたわら晩年にいたるまでノルウェーやヨーロッパ各地を旅し、作曲活動を続けた。付随音楽「ペール・ギュント」、ピアノの「抒情小品集」などがこの協奏曲と共に有名であるが、特に彼の作品にはノルウェーの民族音楽を主題に取り入れたものが多い。
グリーグがこの協奏曲を書いたのは、1868年25歳の時。前の年に結婚した同郷ベンゲルの、いとこに当たる声楽家ニーナ・ハーゲルップとの間に1人の女の子アレクサンドーラをもうけて間もない頃である。ただ、次の年、病気のためわずか1歳で娘を亡くし、深い悲しみを両親への手紙で伝えている。その後、ニーナとの間には子供は生まれなかった。
第1楽章
曲の冒頭部分は、まるで滝の流れるようなピアノの独奏で始まる。主要音から二度降下し、さらに三度降下する性急な旋律の繰り返しで、ノルウェーの民族音楽の影響がはっきりと現れている部分でもある。さざ波のようにさわやかな中間部のピアノや緩やかに物静かなチェロのしらべをはさみながら、楽章全体は明快で若々しさにあふれている。
第2楽章
弱音器を付けた弦楽器の荘厳で重々しいメロディーに始まり、中間部の非常にきれいで抒情的なピアノをへて、切れ目なく3楽章にはいる。
第3楽章
クラリネットとファゴットによるマーチ風なリズムに始まり、ピアノからオーケストラに続く陽気な民族舞踊のリズム、フルートからピアノに続く流れるように優美なメロディー、そして豪壮な終結部で締めくくる。
グリーグは、美しい自然に恵まれた北欧の地で生まれ育ったが、この曲からは若いエネルギーと共に、すがすがしい山の空気、フィヨルドにもの悲しく打ち寄せる波、素朴な民族舞踊などの情景が強く感じられる。目を閉じメロディーに身をゆだねながら聴いてみると、ひょっとしてノルウェーの風を感じるかもしれない。
A.H.