曲目紹介

モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」



 「ジュピター」。この様な傑作を前に人は何か言うべきことが有るのであろうか?
 1788年、モーツァルトの生涯でも最も充実していた創作の絶頂期に完成された作曲家最後の交響曲である。モーツァルトは狭いザルツブルグからウィーンに逃げ出し、音楽職人たることをやめて真の芸術家への道を目指していたが、経済的には困窮状況が続いていた。「ジュピター」が作曲された直前には好楽家の商人プーフベルク宛てに再三金を無心した手紙を書いていることは有名である。
 前年の1787年に作曲した「ドン・ジョバンニ」からも思った程の収入が得られず、モーツァルトはカジノでの予定演奏会を企画し収入源にしようと考えた。このために急遽作曲されたのが、いわゆる「3大交響曲」と呼ばれる第39番(変ホ長調)、第40番(ト短調)、第41番(ハ長調)である。しかしながらモーツァルトの思惑とは異なり結局予定演奏会は開催されなかった模様である。第39番は1788年6月26日、第40番は7月25日、そして第41番はそれから僅か2週間後の8月10日に作曲された。金策に困り超短期間で作曲したにも拘わらずそれぞれの作品の完成度の高さと音楽的な深さは尋常ではない。このような傑作が短時日に相次いで作られたことは音楽史上全く異例のことであり、モーツァルトの天才性を示す顕著な一例である。19世紀ドイツの音楽学者アンブローズは、この3大交響曲を評して「純粋な音楽として、これほど完全なものが果たして他に存在するであろうか」と絶賛している。
 第4楽章には有名な「ジュピター音型」(C-D-F-E)が見られるが、モーツァルトにとってこの音型は生涯のテーマであった。彼が8歳の時、ロンドンで初めて作曲した交響曲第1番では既にその音型がホルンによって奏でられている。古くはグレゴリオ聖歌に起源を持つとも言われる「ジュピター音型」であるが、後の音楽家にも様々な影響を与えている。例えばブラームスは生涯4曲の交響曲を作曲したが、第1番ハ短調、第2番ニ長調、第3番ヘ長調、第4番ホ短調とハ-ニ-ヘ-ホの「ジュピター音型」でその壮大な交響曲の調性を組み立てていた事実は有名である。新古典派といわれるブラームスが如何にモーツァルトの作品を研究し、また尊敬していたかが分かる。
 楽器編成は、フルート1、オーボエ、ファゴット、ハ調のホルン、トランペット各2、ティンパニ2と弦楽5部で「3大交響曲」の中では最大の規模である。ちなみにピアノ協奏曲第21番ハ長調(K.467)はオーケストラ部分が「ジュピター」と全く同じ楽器編成を持ち、調性によりモーツァルトが独特の構成感、音色感を持っていたことを窺うことが出来る。
 第1楽章冒頭の主題を聴いただけでも、壮大な気分が横溢しているが、両端楽章ばかりではなく、第3楽章のメヌエットにもトランペットとティンパニが使われており堂々とした壮麗さが目立つ。また、この曲は「終曲にフーガをもつ交響曲」とも呼ばれるように、第4楽章で見られる3重フーガの技法は冴えわたっており古典的な明快さと壮大さは最後まで一貫している。
 ちなみに「ジュピター」という標題の由来ははっきりとしておらず、作曲家が付けたものではない。最近の研究では19世紀ロンドンに在住していたドイツ系音楽家の命名という説もある。ジュピターはギリシャ神話の創造神であるが、音楽自体は標題のイメージを遥かに凌駕し、その品格、光輝、雄渾さは比べるものが無い。
 TPOにとって「ジュピター」は特別な存在である。10年前の晩秋、大井町の体育館に社内の有志が集まり、電車の音と振動で時々合奏が中断される悪条件下での初練習で初めて鳴ったのが「ジュピター」である。そして、今回10周年記念演奏会で再び「ジュピター」に挑戦することになった。この10年間でTPOが成長したかどうかは聴衆の皆様の御判断にお任せしたいと思う。

H.M.


© 東芝フィルハーモニー管弦楽団 2002