曲目紹介

メンデルスゾーン 「スコットランド」



 メンデルスゾーンは1829年、20歳の時にバッハの「マタイ受難曲」の歴史的復活上演を成し遂げ一躍有名人となったが、それは同時に多くの宿敵をも生じせしめた。彼がユダヤ人であり、プロテスタントであり、有名銀行家の息子である、という事実はどうやら相当要らぬ誤解を招いていたようで、後年のベルリン・ジンクアカデミーの指揮者選挙での落選、「宗教改革」交響曲(第5番)演奏の延期と表題の変更など気苦労も数知れなかったらしい。そんなわけで、若くして有名になりすぎた彼は、現状逃避を兼ね、見聞を深めるためかねてから計画していた英国旅行に出発する。このときから彼は生涯に10回の英国旅行を行っているが、最初の渡英中、「スコットランド交響曲」に着想したと言っている。が、その後は多忙なこともあり第4番「イタリア」などが先に完成している。第3番は推敲を
重ねて1842年に完成。メンデルスゾーン最後の交響曲となった。なお、これらの番号は出版の順番によるものである。
 この曲の楽章間は全て続けて演奏するように指示があり、これは楽章間の拍手を封じるためとも言われている。いまの日本では楽章間に行われるのは咳払いくらいなものだが、米国などでは拍手は頻繁に起こるようである。メンデルスゾーンより後の世代であるブラームスの第4交響曲の初演では、感動のあまり拍手(もちろん楽章間)が鳴り止まなかったとか伝えられているし、生真面目なメンデルスゾーンが「封じようと」したものはその後も続いていたようである。さらに遡って、モーツァルトになると演奏中に拍手が起こったと本人の手紙に書かれていて、それどころかモーツァルトは聴衆に受けるであろうことを予想し、もう一度しっかり聴いてもらうよう事前にオーケストラに「繰り返すよう」指示しておいたという。さすが天才の考えることは普通でないが、このような演奏形態や客席反応の変遷史というのも面白いものである。
 さておき、この曲では、ヴァイオリン協奏曲の1−2楽章やベートーヴェンの5番の3−4楽章のように楽章が演奏上つながっているわけではなく、各楽章は完全に終止しかつそれぞれの楽章は性格がかなり異なっている。従って楽章間は、聴く人も演奏側も相当に緊張感を覚える箇所となっている。楽章間の静寂も彼の様式観の一部なのだろう。
 オーケストラ編成で特徴的なところは、彼の交響曲では唯一、ホルンが4本となっていることである。他ではいずれも2本であり、ロマン派としては古風な書き方であるが、この最後の交響曲では比較的重厚な和音を欲していたと見ることが出来る。ホルンの他は全く標準的な2管編成で、特殊楽器は使われていない。

第1楽章 Andante con moto-Allegro un poco agitato
 木管群とヴィオラで奏される4分の3拍子の息の長い旋律を基本に序奏部を形成する。主部は8分の6拍子となりテンポ感は上がるが、この作曲家特有の厳然たる雰囲気を保ちつつ曲は進む。夜の海のような不気味なうねりも交えつつ何度か高潮を迎え、高まりが収 まったところで序奏部冒頭が再現され静かに終わる。

第2楽章 Vivace non troppo
 メンデルスゾーン得意の無窮動曲で、スケルツォ楽章と位置づけられる。明るく伸びやか、かつ軽快なへ長調の楽章である。一貫してテンポは変わらないが強弱、楽器の組み合わせは変化に富み、飽きさせず一気に聴かせる数分間である。

第3楽章 Adagio
 短いニ短調の序奏がヴァイオリンに引き継がれ優美な第1主題をゆっくりと引き出す。木管・ホルンで奏される第2主題は序奏部のホルンのリズムによっている。3度の高揚を経て次第に静かになり、木管楽器が折り重なるように加わっていき平和裏にイ長調の和音を形作る。

第4楽章 Allegro vivacissimo-Allegro maestoso assai
 一転して激しいイ短調の和音が鳴り渡る。1オクターヴの跳躍と下降音形を伴った旋律がヴァイオリンに現れるが、この1オクターヴの跳躍はその後も各楽器に出現し4分音符の連打と共にこの楽章を特徴づけている。この部分は戦いに出る勇者を表しているなどと評されることがあるが、これが収まって勝利の歌ともとれる後奏部分に入る。ここに至り、4本のホルンの重厚な響きの効果がより存分に発揮され、雄大なイ長調の和音で全曲を結ぶ。

T.O.


© 東芝フィルハーモニー管弦楽団 2002