プラハは生前のモーツァルトをもっともあたたかく歓迎してくれた町であった。従来、交響曲第38番プラハはこの町のために作曲されたとされてきたが、実際には1786年にウィーンで作曲されたものであることがわかっている。ただウィーンで演奏された証拠はなく、プラハでモーツァルト自身の指揮によって演奏されて以来この町で愛好されてきたので、この曲はまさに「プラハ」という名を冠するにふさわしい。
この曲は、緩(第1楽章導入部)−急(第1楽章主部)−緩(第2楽章)−急(第3楽章)という「フランス風序曲」あるいは「教会ソナタ」の形を取っている。モーツァルトの交響曲としては珍しく舞曲楽章(メヌエット)が存在していない。第2次世界大戦の混乱以来1980年後半まで自筆譜の所在が確認できなかったこともあって、メヌエット楽章は失なわれたのではないかとも言われた。しかし当時のウィーンでは3楽章形式の交響曲はそれほど例外的ではなく、またメヌエットが入り込む余地を残さぬほどに完全な均衡を保っていることを考えると、この形式は必然的なものであったのであろう。 この交響曲にはモーツァルトの当時の音楽上の関心がはっきりと反映されている。特に従来の形式の枠組みを破ることなく、新たな要素を取り入れていることが特徴である。
まず当時の関心のひとつはオペラであった。期待感に満ちた第1楽章の序奏はのちの「ドン・ジョバンニ」に通じるオペラの序曲の雰囲気を持ち、緊張感を持続させながら主部アレグロを準備する。主部では後に作曲するオペラ「魔笛」を予感させるモチーフが断片的に現れるし、第3楽章の主題は7ヶ月前に書き上げた「フィガロの結婚」第2幕のスザンナとケルビーノの2重唱によく似ている。フィナーレも明るく楽しい舞台を思わせるなど、全体にオペラ風の軽快さとウイットが感じられる。管楽器を重視しているところもオペラ的である。
他方でモーツァルトのもう一つの感心事は対位法であった。モーツァルトは1782年頃知り合ったウィーンの音楽愛好家を通じてヘンデルのオラトリオやバッハのフーガに開眼し、自らフーガを作曲するなど対位法への感心を深めていた。1782年から翌年にかけてフーガ作品を集中的に作曲して、多様な形でモーツァルト自身の様式に取り込もうとしていた。1784年以降にもモーツァルトによる対位法の探求は続きソナタ形式にフーガの技法を導入した名曲が数多く生み出された。交響曲プラハもその中の1曲であり、全楽章を通じて対位法の手法が随所に用いられている。 こうして交響曲38番は、オペラの要素をもちつつ、他方では厳格な対位法が展開されるという、類まれな作品に仕上がったのである。
さて、我々はこの至高の名曲に対して数カ月間取り組んで参りました。練習の成果や如何に。。。お楽しみ頂ければ幸いです。
N.T.