曲目紹介

モーツァルト:交響曲第36番 ハ長調 K.425「リンツ」



 ウィーンの中心であるシュテファン寺院から北東に歩き、路面電車の走るリンク(環状道路)をこえ、北駅やプラーターの観覧車を通り過ぎてずっと行くと、30分くらいでドナウ川にたどり着きます。気持ちよく開けた視界の向こうには、国連都市のビル群が望めます。このドナウをはるか西に150kmほどさかのぼったところにある都市がリンツです。リンツは現在ではオーストリア第3の都市ですが、作曲家ブルックナーがオルガニストとして活躍したところとして知られています。リンツからさらに南西に約100km行けば、ドナウの本流から外れますが、モーツァルト生誕の地ザルツブルグに至ります。
 モーツァルトはこの交響曲を作曲する2年前の1781年、ザルツブルグからウィーンに移り定住しました。25才のときです。ザルツブルグで宮廷音楽家になったにもかかわらず大司教と折り合いが悪くなって決裂、自由な音楽家として活動を始めたのです。ウィーンに移った次の年には、父親の反対を押し切ってコンスタンツェと結婚するなど、ごたごたが続きますが、このころから数年間がモーツァルトが人気の面でも収入の面でも最も成功していた時代でした。当時の住居は、シュテファン寺院の近くに「フィガロハウス」として今も残っています。交響曲では34番までがザルツブルグ時代、35番「ハフナー」以降がウィーン時代の作品であり、この「リンツ」は移住後2つめの交響曲になります。ウィーンで先輩の作曲家ハイドンと知り合いになったこともあって、ハイドンの影響(序奏部が初めて用いられるなど)があると言われています。1783年、妻コンスタンツェとともにザルツブルグを訪問した帰路、立ち寄ったリンツで音楽愛好家の伯爵が交響曲の演奏を所望したことから、わずか4日間で集中的に作曲され初演されました。リンツから父親宛に演奏する手持ちの曲がないので急いで作曲しているという内容の手紙を出しています。ちなみに、訪れた都市の名前のついた交響曲は他に31番「パリ」、38番「プラハ」があり、モーツァルトの旅行の機会の多さを物語っています。
 第1楽章はゆるやかな序奏部があるのが特徴。この序奏が、続いて現れる流れるような主題を引き立たせます。第2楽章は8分の6拍子の緩徐楽章。第3楽章は優雅な舞踏会を思わせるメヌエット。そして第4楽章は躍動感あふれるプレスト。全体を通じてハ長調の優雅で明快な響きが心地よい、モーツァルト円熟期の傑作といえます。かなりのクラシック通である筆者の友人は、一番好きなモーツァルトの交響曲は「リンツ」だと申しておりますし、レパートリーがきわめて少ない名指揮者クライバーも、この曲はとりあげているようです(モーツァルトでは33番と「リンツ」くらいしか指揮しないらしい)。
 さて、毎回モーツァルトの作品を演奏している東芝フィルでは、メインがブラームスの3番の時にこんな曲をもってきてしまって、あまりの充実ぶりに悲鳴をあげているところです。選挙のみならず演奏まで充実されるのはなかなか難しいですが、聴いていただくお客様も、演奏する我々も、ともに楽しめるような演奏にしたいと思っております。


T.S.


© 東芝フィルハーモニー管弦楽団 2002