曲目紹介

モーツァルト:交響曲第32番 ト長調 K.318



 1777年、21歳のモーツァルトは就職先を求めて母親とともに「マンハイム?パリ旅行」に出発しました。しかし、あれほどもてはやされた子供時代と状況はうって変わっており、思うように事は運びませんでした。加えて、パリで母親を病気で亡くし、1779年1月にザルツブルクに傷心の帰郷をすることになりました。以後1780年11月までのほぼ2年間、モーツァルトはザルツブルクに留まることになります。
 この期間に書かれた作品は数こそ少ないものの、「戴冠式ミサ」(K.317)、「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」(K.364)、「ポストホルン・セレナード」(K.320)などの名作が生み出されました。その後、彼はザルツブルク大司教と対立し、ウィーンに飛び出してしまいます。
 ザルツブルク滞在中、1779年に第32番(K.318)と第33番(K.319)、翌1780年に第34番(K.338)の合計3曲の交響曲が作曲されました。これら3曲の交響曲は「マンハイム?パリ旅行」を通じて得たからか、パリ好みの反映とみられる三楽章形式になっています。
 3曲の中で書かれた交響曲第32番は、1779年4月26日に完成しました。(自筆譜はニューヨーク市立図書館所蔵)。
 曲の構成は、
 第1楽章:アレグロ・スピリトーソ 4分の4拍子
 第2楽章:アンダンテ 8分の3拍子
 第3楽章:テンポ・プリモ 4分の4拍子
となっており、メヌエット楽章を持っていません。いずれもト長調による急?緩?急3楽章構成で、全曲は切れ目なしで演奏される、いわゆるイタリア・オペラの序曲の形式でつくられています。この曲はモーツァルトが"ト長調"の曲でトランペットを使った数少ないものですが、当時はト調のトランペットがなかったためハ調のトランペットで代用していました。
 交響曲第32番は、英雄劇「エジプト王タモス」(K.345)の序曲として、或は未完成のオペラ「ツァイーデ」(K.344)の序曲として作曲されたという説がありますが、確実にわかっているのは、ベルターティ台本、ビアンキ作曲のオペラ・ブッファ「誘拐された村娘」(1783年)の序曲として演奏されたということです。


K.T.


© 東芝フィルハーモニー管弦楽団 2002