曲目紹介

ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125 「合唱付き」



 ベートーヴェンは若い頃よりシラーの頌歌「歓喜に寄す」に歌われている人類愛の思想に共鳴し、この詩に作曲したいと思っていました。34歳頃より今のテーマを書き始め、「荘厳ミサ」の完成が近づくにつれて、「第九」への作曲を急ピッチに進めました。作曲の過程で彼は、シラーの「歓喜に寄す」の詩の一部だけを用いることを決め、それを交響曲の第4楽章に用いることを決めました。そしてその第4楽章には4人の独唱者と四声の混声合唱を加えるというカンタータの形式を導入しました。この様に、現在の形態を決定するまでに幾多の考慮を払い、1822年の12月、ロンドン・フィルハーモニー協会からの新しい交響曲作曲の依頼が来た時に最終的な構想をまとめました。そして「荘厳ミサ」を完成した1823年の夏から本格的に「第九交響曲」の作曲に集中し、1823年の終わりか1824年の初め、全く耳の聞こえなくなっていたベートーヴェンは彼の最後の大交響曲を完成させたのです。
 初演は1824年5月7日、ケルントネル門劇場で開かれた演奏会においうて「家の祭祀」への序曲、「荘厳ミサ」からの三曲とともに初演されました。指揮台には2人の指揮者?ベートーヴェンとウムラウフ?が立ちました。演奏者はウムラウフだけを頼りにして演奏しましたが、ベートーヴェンの指揮は非常に猛烈で、ピアニッシモは全く体を縮めて、フォルテには腕を振り上げて指揮したそうです。演奏は大成功をおさめ、万雷の様な拍手が起こりましたが、ベートーヴェンには全く聞こえずぼう然としていたので、アルトの歌手が彼の手をとり聴衆の方に向けてやったので、彼はやっとその拍手を見ることができたのだそうです。
 この曲が作曲された時代は既にロマン派の時代となっており、この曲もロマン的な要素と古典的な要素を多分に含んでいます。

 第1楽章 アレグロ マ ノン トロッポ ウン ポコ マエストーソ ニ短調 4分の2拍子
 遠く宇宙の彼方よりホルンが空間を示すと同時に第2ヴァイオリンとチェロが時を刻み始めます。第1ヴァイオリン以降の五度の下行の動きが人間味のない絶対的なものを表わしているかのようです。クレッシェンドがフォルティッシモに達すると悲痛な現実をつきつけるような第1主題となります。第2主題は落ち着いた感じでしばらく安堵の時が過ごせるといった感じです。しかし、この楽章は結局悲劇の幕を閉じます。  話はこの曲の開始に戻りますが、ピアニッシモで弦のきざみと管ののばしで始まり、次第に盛り上がるという手法は、後にブルックナーが真似をして何度も用いています。

 第2楽章 モルト ヴィヴァーチェ ニ短調 4分の3拍子
 スケルツォ?トリオ?スケルツォの構成をとっています。スケルツォの部分はこだまを連想させるようなリズムが印象的です。

 第3楽章 アダージョ モルト エ カンタービレ 4分の4拍子 変ロ長調
 緩徐楽章が第3楽章に置かれています。曲は最初の主題と、しばらくして出てくる4分の3拍子の主題とが主体となって構成されています。はじめは田園風景の描写風に始まりますが、次第に深い祈りと確かな信念をもって進んでいきます。

 第4楽章
 歓喜の主題が現れる前に、前の3つの楽章の主題を回想します。それぞれの回想の後にチェロとコントラバスがレシタティーボを奏しますが、後で同じテーマをバリトンソロが歌います。その意味は「おお友よ、このような音ではなく、もっと快いそして喜びに満ちた歌をうたおうではないか」ということです。(この一句はシラーの原詩にはなく、ベートーヴェンがあとで付け加えたものです。)つまり第1・第2・第3楽章(そして第4楽章の冒頭の激しい楽句)は否定されているのです。その後、ついにチェロとコントラバスにより喜びに満ちた歌が奏され、盛り上がっていき、合唱が加わっていくのです。

Y.M.


© 東芝フィルハーモニー管弦楽団 2002